終戦記念日
2011年 08月 15日
今日、8月15日は終戦記念日です。
今日1日位は戦争の事について考えてもいいんじゃないかと・・・
あ、今日の写真は全然終戦記念日と関係ありません。
撮影者はS商会さん、「僕の夏休みシリーズ」(笑)からお借りしました。
先日、実家の群馬に帰って、おばあちゃまに裁縫を教わっていたときの話しです。
その日は8月6日、広島の日でした。
高校野球のラジオを聞きながら、作業を進めると、ラジオから黙祷のアナウンスと甲子園球場からのサイレンの音が流れました。
ふと疑問に思い、おばあちゃまに聞いてみました。
今のようにTVやネット、情報を伝える媒体に限りがあった中、この原爆投下のニュースはどのように群馬に伝わったのか?
おばあちゃまは「ラジオ」から「きのこ型の雲」「爆弾」という単語を聞き取ったと教えてくれました。
新聞などで写真をみるまではどんな爆弾なのか?なにがおきたのか?よくわからなかったといいます。
意味はわからなくてもラジオの声から伝わる恐ろしい情景と恐ろしい死者の数・・・
想像でしかわからないけれど、日本でおそろしい事がおきているということは十分伝わったそうです。
原爆投下の前には、東京大空襲と呼ばれる一斉攻撃があり、その時には群馬から東京方面の山が真っ赤に見えたそうです。
庭の松が切り取られ、松の油を飛行機の燃料にすると国に持って行かれ、比較的食べ物に困らない群馬の田舎でも芋のツルを食べ・・・
このような伏線もあり、「日本は負けるかもしれない」「勝てるわけがない」と覚悟の様な物が出来ていたと話してくれました。
話しはかわって、父、母、弟と家族4人で父の定年を記念し、沖縄へ旅行へ行った時のことです。
ひめゆりの塔を見学した時の事です。
本州から一度も出たことがなかった父が沖縄で一番行きたかった所・・・
それは「ひめゆりの塔」の隣にある「陸軍病院第三外科職員之碑」でした。
※沖縄戦で戦没した沖縄陸軍病院第三外科の29人の職員の御霊が合祀されています。
父は国の病院へ勤務していました。
時代が時代であれば父も勤務していたかもしれません。
同じ医療に関わる人間として、ここに来たかったと言った父の一言が忘れられないです。
弟はひめゆりの塔には行きたくないと言いました。
最終的に資料館には行かないという事で参拝だけ一緒にしましたが・・・・
弟は高校の修学旅行で行った広島の原爆資料館で強い衝撃を受けたのが、ひめゆりの塔へ行きたくないという理由でした。
ひやかしのような気持ちで行ってはいけないと。
それは弱さではなく、優しさからの一言だったとバカ姉は思う訳です。
受け取り方は色々で、考え方も色々で、生まれた世代や性別、体験によって「戦争」というものは受け取り方が違います。
でもその違いはあっていいのだと思います。
戦地で散った人ばかりが英雄ではありませんが、それが正しいと教わったその時代。
今日位はその日を一生懸命に生きた皆様に祈りを捧げたいと思うのです。
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